こんにちは。あいです。
ママたちと自分史ウェブサイト作成のお手伝いをしています☆
久しぶりに自分史サイトのレビューやります!(*'▽')/
\\最新の自分史WEBサイト//
粟飯原さんは、私の両親と同世代。
徳島県の神山町で生まれ、育ち、現在は『てくてく栗生野』という神山町下分地区にあるコミュニティサロンを運営しています(*‘ω‘ *)
■学生時代のこと
中学校の統廃合を経験したことで神山町の過疎化を感じたことや、徳島市内の高校に通ったことで、『田舎暮らし』ということを感じた学生時代。
下宿を含めた高校生活になじめずにいたけれど、その時に出会った写真は、現在ではライフワークになっているそうです。
■社会人のこと
社会人になってモヤモヤしているときに参加した青年の船。
そこで『田舎に住んでいようと、技術があれば世界の人を相手に活躍できる!』と気づいたそうです。
帰ってすぐは周りとの温度差を感じたものの、得意だったパソコン技術を武器?に、オフィス改革をしていきます。
■家族のこと
写真係のボランティアで参加した“車いす友の会“の一泊旅行で出会った奥様。
奥様とはたくさん話しているとのことで、粟飯原さんの一番の理解者とのこと。
粟飯原さんご自身が、奥様のことも娘さんたちのことも、丁寧にひとつづつ向き合い、理解しようとしているのかなと感じました(*''▽'')
■神山町観光係
44歳のときに観光係に異動になり、そこでは観光イベントを立ち上げたり、観光PRの資料作成をしたりと、神山町の魅力を伝えることに尽力していました。
地元の人には『当たり前にあること』でも、他県からしたら『そこにしかないもの』になるってのを知ると、もうなんでもアピールポイントになるなって思う。
観光窓口だけではなく、地元の人がその地域のオススメ場所を教えてくれると、めちゃくちゃ価値が高まる気がするのは私だけかな??(´▽`)
50歳のときに教育委員会に異動。そこでも大きなイベントを担当。
神山町の伝統的な催しであった「棒突き」を38年ぶりに復活させました。
また、農村舞台の復活として人形浄瑠璃の実演もしました。
粟飯原さんは、ご自身のことを
神山町役場を定年退職して6年。振り返って思うことは、役場の中ではずっと浮いた存在だったなということ。ゼロからモノコトを生み出していくことが得意で、マニュアルに従うのが不得意だった。役場の担当者らしくない、はみ出し者だったなと感じる。
をおっしゃっています。
役所ではなかなか気苦労もあったかもしれませんが、観光係や教育委員会では、得意分野を活かせるような仕事ができたのではないかと感じます。
役場の部署異動は、誰が決めているのかは全くわかりませんが、粟飯原さんの良い部分をちゃんと見てくれてた人がいて、力が発揮できるような異動だったように思います。
そして、、この時期にNPO法人グリーンバレーが神山町農村環境改善センターに常駐となりました。
個人的には、ここで!!岩丸潔さんと粟飯原さんが繋がったの??とちょっと興奮しました(゚∀゚)
岩丸さんの自分史WEBサイトを3回にわたり書いています(*´з`)
■てくてく栗生野の設立
粟飯原さんと奥様のスキルとキャリアがあってこそのとても素敵な場所!!
民と官をつなぐ場所があると、地域の人たちも暮らしやすくなるように思いました。
大工工事を粟飯原さんが中心となって、手作りしていったというのがまたすごい!!
粟飯原さんがこどものころにやってきた大工遊びや高校で出会った写真が、大人になってからも生かされているのが素敵だなと思いました。
こどものころ好きだったことは、大人になっても好きなんだなと思ったし、
好き・楽しいことは『居場所になる』とも思いました。
環境に馴染めなかったとしても、ひとつでも自分の好き・楽しいがあるだけで、きっと見える世界は変わってくるはず。(と、これは移住する自分へのエール!!!!)
個性と経験をどう使うかで人生の充実度が変わってくるのかな・・と思いました(*''▽'')
我が夫も、みんなが集まって好きなことを好きなようにできる場所を作りたいと言っておりまして・・・・
参考にさせていただきたい。。。という口実で行ってみたいな!!
ここまで読んでいただきありがとうございました!(*‘ω‘ *)