あい@自分史サイト

絶賛子育て中!こどもは大好き!でも自分の人生も充実させたいわがまま母です(*^_^*)ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆https://www.jibunshi.info/

【制作実績】幸せ者〜な『神山町のお父さん』の自分史②

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

AYAクリエイティブ 自分史実績紹介 第2弾!

前回記事こちら

jibun-shi-web.hatenablog.com

 

では岩丸さんの生い立ち後半です♪

岩丸潔さん

昭和23年8月28日。徳島県神山町生まれ。
岩丸百貨店 店主・認定特定非営利活動法人グリーンバレーの理事として神山町地域活性化に尽力すると共に、自宅兼店舗を神山塾生の下宿先として解放し、神山を訪れる多くの人の憩いの場を提供している。

わいわい楽しそう~!!!!

大学卒業後は住み込みで京都の呉服屋さんに就職。

いまは『お茶くみ』や『お花見の場所取り』は新入社員の仕事じゃない!!!( `ー´)ノと声をあげられる時代になったけど、たぶん、いわゆる雑用も、「仕事のうち。学ぶことがある」と捉えて全力でやるのが当たり前の時代。お茶くみから配達までなんでも全力で取り組んだそうです。

また、京都の呉服屋は訪問販売を専門としていて、3年目には外回りで着物を販売。慣れない飛び込み営業を通じて、人に対して前向きに接することができるようになり、度胸がついたと言っています。


私自身、小さな設計事務所で働いてたとき、掃除・ごみ捨て・お茶くみ・・・なんでもやってました。
社長がめちゃくちゃ怖くて、男社会!!という感じの会社で、女性は私1人(辞める少し前に女神が1人入ってきてくれた( ;∀;))。
社長の秘書みたいなことから、経費計算、出張手配、買い物(月2回花屋さんに榊買いに行ってた)、近くの系列?事務所(分社?)に手紙持ってったり。。。
出勤したら掃除して、お茶入れて・・ってやってたけど、お茶くみはけっこう楽しかった記憶があります(´▽`)
社員さんとの会話のきっかけにもなるし、お礼をいわれることのない仕事中に、唯一「お、ありがとう」といわれる瞬間(闇深wwwwww)だったのもあるのかな。
ストレスフルな職場でしたが、『どんな仕事も学びになる』という想いで前向きにやっていくことで得られるものは確かにあったなと思います。

私自身、イヤイヤやるよりもポジティブに捉えたいタイプなのもあるのかもしれないけれど、こういう経験は必要だな~と思ってしまうのは、古い考えなのかな~(*´з`)

 

さて、岩丸さんの生い立ちに戻ります(*ノωノ)

26歳で地元神山に戻り、お父様と一緒に岩丸百貨店の事業を行います。

当時は嫁入りの際に着物を仕立てる習慣があったので、呉服屋での経験を生かして働いていました。

その後結婚し2人のこどもに恵まれ、仕事・子育てにPTA活動も精力的に取り組み、家族との時間に幸せを感じる日々を送っていました。
超勝手なイメージだけど・・・・・・この時代のお父さんが子育てやPTA活動に参加するって珍しいような。。えらいな~すごいな~!!!!!
目の前のことに全力で取り組むというのは、岩丸さんの素敵な性格だなと思いました(*'▽')

 

幸せいっぱいの家庭生活でしたが・・・娘さんが18歳の時、奥様が病気で急逝してしまいます。
4年後、再婚をしますが、その奥様も病気で亡くなってしまいます。
『人はいつか死ぬ』とはわかっていても、若くしての死別というのはとてもつらい出来事です。
それでも、ふさぎ込むでもなく、人と関わり続けていたのが本当にすごいな~と思います。奥様を失った悲しみを埋めるための行動だったのかな??(私なら間違いなくそうする)


とても悲しい経験があるからこそ、『人が集う場所岩丸家』があるのかもしれない。。なんて無理矢理にでも前向きにこじつけてしまう私。。
だって写真を見ると、どれもたくさんの人に囲まれていて、幸せそうなんだもん( ;∀;)。。。悲しい過去があったとは思えない。。

きっと二人の奥様も天国で見守ってくれているんだろうな~

岩丸さん幸せ者~!!!!ヽ(*´▽`*)ノ”

・・・・ということで、次回は『人が集う場所岩丸家』について書いていこうと思います!

 

岩丸さんの自分史はこちら

iwamarukiyoshi.jimdofree.com

ぜひ覗いてみてください(´▽`)