あい@自分史サイト

絶賛子育て中!こどもは大好き!でも自分の人生も充実させたいわがまま母です(*^_^*)ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆https://www.jibunshi.info/

徳島ニュービジネス支援賞 優秀賞受賞!!

こんにちは。あいです。

 

この度、ママたちと一緒に作成のお手伝いをしている自分史サイトが、

徳島ビジネスチャレンジメッセ2022

徳島ニュービジネス支援賞において、

優秀賞を受賞しました~!!・*:.。..。.:*・゜ヽ( ´∀`)人(´∀` )ノ・゜゚・*:.。..。.:*

 

AYAクリエイティブを立ち上げた松坂智美さん 

徳島経済新聞にも掲載されました!!!!

すごい!かっこいい!!嬉しすぎる!!!(≧▽≦)

徳島ニュービジネス協議会が主催で、徳島県の企業の方々から注目されて応援されていく!!というのも素直にとても嬉しいです!

 

ウェブサイトにすることで、自分史を作るハードルが下がり、たくさんの人が『自分史』や『家族史』を残すようになれば、

家族を想う気持ちが高まったり、自分自身を大事にしようと思えると思います(´▽`)

その人のストーリーを知ることで、大好きになるし、親近感が沸いたりします(私だけ???)

 

これからもたくさんの方々の自分史・家族史を作っていきたいし、読んでファンになっていきたいなと思います(*'ω'*)

 

よかったら制作実績なども読んでみてください♪

www.jibunshi.info

 

ここまで読んでいただきありがとうございます(´▽`)

長寿祝い、みんなでしてみませんか??

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

☆\\先日、下の子がお誕生日を迎えましたーー!//☆

こどものお誕生日って嬉しいですよね~!!

来年は七五三です(´▽`)

『七五三』は、成長のお祝いと、こどもの長寿と幸福を願うもの。

着物を着せてもらい、あんみつ姫みたいな髪型でいつもと違う自分になれてウキウキソワソワしたのを覚えています。(*''▽'')

普段会えない祖父母が来てお祝いしてくれたのも嬉しかったです!!

 

還暦を過ぎると、今度は、長生きしてくれた感謝と、いつまでも長生きしてね、という気持ちを伝える『長寿祝い』をします。

昔は長寿祝いは程遠いと思っていましたが、母も還暦を過ぎ、古希が近づいてきています(*''▽'')

 

長寿祝い種類

■還暦(かんれき) 61歳(満60歳)

「60年で十干十二支が一回りし、生まれ年の干支に戻ること」が由来。

■古希(こき) 70歳

中国唐代の詩人 杜甫の『曲江詩』にある「人生七十古来稀なり」という詩句に由来。

喜寿(きじゅ) 77歳

「喜」の字を草書体で書くと、「十七」の上に「七」が付いたような文字(「㐂」に似た字)になることが由来。

■傘寿(さんじゅ) 80歳

「傘」の略字「仐」が、縦書きの「八十」に見えることが由来。

■半寿(はんじゅ) 81歳

「半寿」は、「半」の字を分解すると「八十一」になることが由来。

■米寿(べいじゅ) 88歳

「米」の字を分解すると「八十八」となることが由来。

■卒寿(そつじゅ) 90歳

「卒」の俗字「卆」を分解すると「九十」になることが由来。 

■白寿(はくじゅ) 99歳 

「百」の字の一番上にある「一」を取る(100歳-1=99歳)と「白」の字になることが由来。

■百寿(ももじゅ) 100歳 

100歳であることから百寿。100歳であることから百寿とも呼ばれる。

 

長寿祝いの色

還暦:

古希、喜寿

傘寿、米寿:黄(金茶)

卒寿、白寿:

 

そのほかの長寿のお祝い・・・

茶寿(ちゃじゅ)108歳(茶寿)

皇寿(こうじゅ)111歳(皇寿)

大還暦(だいかんれき)120歳(大還暦)

天寿(てんじゅ)250歳(天寿) 

喜寿以降は、日本発祥の習わしのようですが、

こんなにも種類があるとは驚きました!!!└(*'ω'*)┘

お誕生日が嬉しく無くなる時期もありますがwww、歳を重ねていくってとても尊いことなんだな~と感じました。

「天寿と全うする」とはよく聞きますが、天寿が250歳とは!!(゚∀゚)!!


お祝いの方法としては、おじいちゃんおばあちゃんを囲んでの食事会や、みんなでのんびり温泉旅行とかが一般的なのかな。

離れていてなかなか会えない場合は贈り物もいいですよね(*^-^*)

我が家は、還暦を迎えた母には赤い小物をプレゼントしました♪

・・・・母が「あかいちゃんちゃんこはちょっと・・・」と言っていたので(;'∀')

 

ご家族との思い出を自分史や家族史にするのもオススメです!

おいたち、学生時代の思い出、結婚など、当時のお話を聴きながら、おじいちゃんやばあちゃんと一緒に自分史を作成していくのも楽しそうですね!(´▽`)

学校で習う『歴史』を生きた祖父母なので、戦争体験が聞けたり、いまでは考えられないような文化・生活があったかも。(まさに生きる歴史書!!!)

また、祖父母の両親や、母親・父親の幼少期を知れることは、とても貴重な機会になると思います。自分がこどもの時に聞いた、両親のエピソードとはまた違う気持ちになるかもしれません。

 

AYAクリエイティブの自分史ウェブサイトは、URLがあれば、いつでもどこでも、誰でも観ることができます♪

祖父母、ご両親だけでなく、親戚や祖父母のお友達にも簡単に読んでもらえます。自分史や家族史を読むことで、思い出話に花が咲いたり、大切な人たちとの会話が弾むかもしれません(*^-^*)

データの追加も可能なので、お祝いの度に思い出を増やしていくこともできます(*'▽')

 

祖父母やご家族とのかけがえのない思い出を残していきませんか?

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誰得??

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

ぐるっとママの作文に応募したことで、自分史を作るってこんな気持ちになるのかな…というのを経験しました。

jibun-shi-web.hatenablog.com

 

また、自分史ウェブサイトの制作実績の感想を書いていて、思う事もあったので、

改めて、自分史って誰得なのかなーと考えてみました(´▽`)

※完全に個人的な意見です※

 

自分史を書くことのメリット
  • 自己紹介としてよい
  • 生き方、考え方、取り組んでいる事(事業)に興味を持ってもらえる
  • じっくりと自分のことを振り返ることができる
  • やってきたことを振り返ることで自己肯定感が上がる
  • これからの事を考える事でワクワクする
  • 過去の『良くなかった』出来事に向き合う事で、『結果よかった』と思える

このブログで、自分史ウェブサイトの制作実績の感想を書くことが多いのですが、

めっちゃ読み込むし、めっちゃ調べるんですよね。

その分時間もかかるけど((;´Д`)・・・)、取り組まれている事に興味が湧き、自分の視野は確実に広がります。

そして、なによりも、その方の事が大好きになります。いますぐ会いに飛んで行きたいほどにww

おそらく、自分史ウェブサイトを読んだらそうなるだろうなと思います。

生い立ちや過去の経験や体験から、いま何かに取り組まれているので、そのストーリーを追う事で感情移入(追体験)するのかも?

これって、事業をされている方にとって、事業の背景を知ってもらうにはめちゃくちゃ良いのでは?と勝手に思っています!

 

自分史を書くことのデメリット(自分史を残さない理由)
  • …時間や費用的なことかな?
  • たいそうな事やってないから、、人様に見せるほどの書くほどの事がない
  • そもそも『自分史を残す』というのが選択肢にない

費用は、通常の自分史制作をするより安価でクオリティ高いと思います。自分でできるところは自分で、できないところは依頼できるのがいいなと思います(´▽`)

 

「人様に見せるほどの書くほどの事がない」については、

今回パンピーの私が自分のことを作文に書いてみて、「意外にいろいろあるな」と感じたので、おそらく、どんな人にも残したい(忘れたくない)エピソードってあると思います。

失敗した経験も、嫌だった思い出も、時間が経つと、「あの経験があったから、いまの自分がある」と思えるかなと思います。

AYAクリエイティブの自分史ウェブサイトでは、取材という形で、制作チームがお話を伺うこともできるので、話すことで気持ちが整理されるかもです。

 

SNSのように、自分史(自分のストーリー)を残すのが当たり前になれば、

その人の為人がわかり、よい関係が築きやすくなるのかなと思います。

どんなに怖い人でもあかちゃんの頃があった・・・と思うと、ちょっと気持ちが変わる気がする。。。

 

自分史は自分にとっても、読んだ相手にとっても、良い影響があるな~

と思いました(*''▽'')

 

超絶個人的な意見なので、ほかにメリット・デメリットあれば、コメントいただけたら嬉しいです(*'ω'*)

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やってみてよかった!

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

こちらでも紹介した、

jibun-shi-web.hatenablog.com

 

ぐるっとママの懸賞作文に応募してみました!!

 

人様に読んでもらうようなドラマティックな事もなかったし、直前まで応募するかめちゃくちゃ悩みました・・・(;'∀')

妊娠出産について、自分の中でモヤモヤしていることがあり、それを昇華できたらという想いがあったのがひとつ。

8月は出会いが広がり、その中で、今まで悩んでいた息子や夫との関係を見直す事ができたのがふたつ。

不純な動機もありますが、自分のことを振り返るタイミングなのかも…と思い書いてみることにしました!

 

結果、、書いてみてよかったです!!!(*''▽'')

 

私自身は自己肯定感が高い方ではないです。

自分がやりたい!と思ったことには挑戦したいタイプですが、、

常に自信がないから、極力石橋を叩きたいwww

下調べして、ちょっと時間を置いて自分の気持ちを確かめて、、たまに石橋を叩き割ったり(゚∀゚)

そんななのに、突然思い立って、突拍子もないことに挑戦しちゃったり。。(自分で人生こじらせてるw)

だからめちゃくちゃ色んな経験をして、考察しまくって、

『色々あったけど、学んだ事もたくさんあったから、結果的にはプラスになったな』

と考えるタイプ(になりました)。

 

今回、妊娠出産を振り返ってみることで、自己肯定感が上がったというのか、この期間もいまも自分頑張ってるなと思うことができました。

自分史を残すってこんな気持ちになるのかなぁ…と疑似体験できた感じもしました。

妊娠出産はもちろん十人十色。誰一人として同じ経験をした人はいません。同じ親から生まれても、こどもひとりひとり、全く違うエピソードがあるはず。

同じように、人生もその人それぞれ、みんな違うエピソードなんだよなぁ…と改めて思いました。

妊娠出産エピソードも、

自分の人生のエピソードも、

わざわざ大々的に人様にお伝えるするような出来事じゃなくても、自分やこども、家族に向けてでも、

文字にして残すことは意味があるなと感じた、今回の作文応募でした~!!

 

ここまで読んできただきありがとうございます(*^-^*)

 

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【制作実績】帰りたくなる場所があるっていいな 神山町のお父さん自分史③

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

AYAクリエイティブ 自分史実績紹介 第2弾!

『奇跡の田舎』といわれる徳島県神山町で暮らす岩丸潔さんの自分史について書いています♪

生い立ち・家族はこちら

jibun-shi-web.hatenablog.com

 

岩丸潔さん

昭和23年8月28日。徳島県神山町生まれ。
岩丸百貨店 店主・認定特定非営利活動法人グリーンバレーの理事として神山町地域活性化に尽力すると共に、自宅兼店舗を神山塾生の下宿先として解放し、神山を訪れる多くの人の憩いの場を提供している。

岩丸潔さん この笑顔に会いに行きたい~!!

■人が集う場所・岩丸家
神山町国際交流協会」が前身となり、2004年に数名で立ち上げたのが「NPO法人グリーンバレー」。
現在、岩丸さんは、そこで『神山塾』を担当しています。

 

NPO法人グリーンバレーって???

内閣府NPO HPより 
https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/036000096

 

始まりは、『青い目のアリス』と呼ばれる人形を、祖国アメリカに里帰りさせたい!という地域有志の集い

『青い目のアリス』とは、1927年に日米親善のために贈られた人形で、戦時中に多くが壊されてしまいました。 アメリカへの旅費などはすべて自費でしたが、現地の方やメディアにも歓迎されたそうです。

「アリス」にはパスポートが付いていましたが、持ち主がご存命かもわからない中アメリカに行き、模索しながら、送り主に届けられたそうです!( ;∀;)

 

共にアメリカへ行った成功体験・ワクワクを共有した仲間が創立メンバーとなり、 この時にできた国を超えたつながりを絶やしたくないと設立したのが「神山町国際交流協会」。

 

徳島県神山町を中心に国際文化村を作る構想を練っていると聞き、 将来的には町、自治体に運営が委ねられるというのを見越して、企画から自主的に関わろう、と「国際文化村委員会」(のちのググリーンバレー)を設立。

 

・毎年3名のアーティストを神山町に招待する「アーティスト・イン・レジデンス」制度

・移住支援のノウハウが蓄積され、情報発信や整備を目的にしたサイトイン神山

・仕事を持ったまま移住する逆指名制度の「ワーク・イン・レジデンス」制度

・空いている古民家を改装して都心の支店としてオフィスを構える「サテライト・オフィス」

・地域人材育成事業である「神山塾」

などたくさんの事業をおこなっている。

 

グリーンバレーは、前例のないことにも、どんどんチャレンジしていける「枠組みのない場」創りをしている。

『青い目のアリス』をアメリカに送り届けたというエピソード、めっちゃ楽しそうじゃないですか?!

全部自分たちで調べて手配して行く修学旅行みたいでワクワクします!(≧▽≦)

大人になってから、学生時代みたいな気持ちになれる経験てあまりない!

一緒にアメリカに行った人たちが、新しい活動の先頭に立って行動していったのも納得です!(・∀・)

 

グリーンバレーの面白さは、好きな時間に好きなことができるところだったと思う。今は組織も大きくなって経済活動も大切にしているが、昔はみんな無給でボランティアとして採算度外視でやりがいを持って、メンバー全員が楽しんでいた。

立ち上げの時期って『大変』『苦労』みたいなイメージだけど、みんなが楽しんで挑戦していたのがとても伝わります!(´▽`)

 

岩丸さんは、上記の『神山塾』の塾生の下宿受け入れをしており、『神山塾生のお父さん』とも呼ばれているそうです。

『神山塾』

前向きに立ち止まり、徳島県神山町で自分らしい生き方・働き方・暮らし方のきっかけをつかむ地域人材育成事業のこと。
求職者支援訓練として全国から若者があつまり、神山で生活しながら学びを深めていく活動。

半年の塾生期間が終わっても、滞在する塾生もいるようで、『岩丸家』の居心地の良さを感じずにはいられない!(゚∀゚)

 

みんな今まで苦労していて、何か思うことがあって神山塾に来ている。ゆっくり色んな人や自然と触れ合いながら仕事との向き合い方を考えたら良いのではないかと思っている。


色んな人と接してゆっくりと話を聞くことで、個人として成長できる環境がここにはある。

 

岩丸さんの言葉から醸し出される、田舎ならではなのんびり感(´▽`)
都会では、どこを見てもたくさんの情報があふれていて、人の流れも多く、なにか時間に追われるような日々を送っているんだな~と改めて感じてしまう。。

 

そしてよい意味でのおせっかい。
地域のつながり、お隣さん同士の繋がりが残っている。
どこ出身であるとか関係なく、神山全体でまるっと包み込んでくれるような温かさを感じました。

『グリーンバレー』の理念というよりも、神山が育てた人柄なのかな~
あ、そういう人たちが設立したのが『グリーンバレー』なのか。。。
卵が先か、鶏が先か・・・

 

岩丸さん「夢とまではいかないが、ずっと笑顔でいられる暮らしがしたいと思う。」
笑顔でいられる暮らしって、簡単なようで難しい~!!!(・・と思ってるから難しい??)
塾生からのコメントを読むと、岩丸さんは、いつもフラットで、等身大のその人を受け止めてくれてるんだなと感じました。

自分そのものを受け止めて受け入れてくれるってとても嬉しいですよね(*''▽'')

 

そういえば、、半年?一年?くらい前に『山間部でもインターネットが整備されていて、e-スポーツが盛ん』ということがテレビで取り上げられていて(たしか、、、)
びっくりした記憶があるのですが、どこの県だったか思い出せず(衝撃的なことでさえすぐ忘れるwww)でしたが、、、
岩丸さんの自分史を読んで、いろいろと調べているうちに、『e-スポーツが盛んな田舎』が徳島県だったと繋がり、勝手にご縁を感じましたヽ(*''▽'')''▽'')ノ

 

\地方の山の奥でもネット環境整ってるって最高じゃん!!!/

これって他のところでもできないの??!
なんて考えたのですが、、そもそもその地域の『受け入れ態勢』がとても重要なんだな~・・と岩丸さんの自分史を読んで感じました。
「やればええんちゃう」が飛び交うここだからできることなのかも。。


ただ、やっぱり『田舎の可能性は無限大』だなとも思います。
コロナ禍で、オフィスへの通勤が当たり前ではなくなったいま、ネット環境が整った自然に囲まれた場所で仕事ができたら最高~!!
それを実現できるのが、徳島県神山町。(´艸`*)
岩丸さんの自分史を読んで、岩丸さんに会ってみたくなったし、神山町にも行ってみたくなりました。
なにかの時には、神山塾生になりたいとさえ思いました(´艸`*)(´艸`*)(´艸`*)

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!!

 

岩丸さんの自分史はこちら

iwamarukiyoshi.jimdofree.com

よかったら読んでみてください♪

【制作実績】幸せ者〜な『神山町のお父さん』の自分史②

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

AYAクリエイティブ 自分史実績紹介 第2弾!

前回記事こちら

jibun-shi-web.hatenablog.com

 

では岩丸さんの生い立ち後半です♪

岩丸潔さん

昭和23年8月28日。徳島県神山町生まれ。
岩丸百貨店 店主・認定特定非営利活動法人グリーンバレーの理事として神山町地域活性化に尽力すると共に、自宅兼店舗を神山塾生の下宿先として解放し、神山を訪れる多くの人の憩いの場を提供している。

わいわい楽しそう~!!!!

大学卒業後は住み込みで京都の呉服屋さんに就職。

いまは『お茶くみ』や『お花見の場所取り』は新入社員の仕事じゃない!!!( `ー´)ノと声をあげられる時代になったけど、たぶん、いわゆる雑用も、「仕事のうち。学ぶことがある」と捉えて全力でやるのが当たり前の時代。お茶くみから配達までなんでも全力で取り組んだそうです。

また、京都の呉服屋は訪問販売を専門としていて、3年目には外回りで着物を販売。慣れない飛び込み営業を通じて、人に対して前向きに接することができるようになり、度胸がついたと言っています。


私自身、小さな設計事務所で働いてたとき、掃除・ごみ捨て・お茶くみ・・・なんでもやってました。
社長がめちゃくちゃ怖くて、男社会!!という感じの会社で、女性は私1人(辞める少し前に女神が1人入ってきてくれた( ;∀;))。
社長の秘書みたいなことから、経費計算、出張手配、買い物(月2回花屋さんに榊買いに行ってた)、近くの系列?事務所(分社?)に手紙持ってったり。。。
出勤したら掃除して、お茶入れて・・ってやってたけど、お茶くみはけっこう楽しかった記憶があります(´▽`)
社員さんとの会話のきっかけにもなるし、お礼をいわれることのない仕事中に、唯一「お、ありがとう」といわれる瞬間(闇深wwwwww)だったのもあるのかな。
ストレスフルな職場でしたが、『どんな仕事も学びになる』という想いで前向きにやっていくことで得られるものは確かにあったなと思います。

私自身、イヤイヤやるよりもポジティブに捉えたいタイプなのもあるのかもしれないけれど、こういう経験は必要だな~と思ってしまうのは、古い考えなのかな~(*´з`)

 

さて、岩丸さんの生い立ちに戻ります(*ノωノ)

26歳で地元神山に戻り、お父様と一緒に岩丸百貨店の事業を行います。

当時は嫁入りの際に着物を仕立てる習慣があったので、呉服屋での経験を生かして働いていました。

その後結婚し2人のこどもに恵まれ、仕事・子育てにPTA活動も精力的に取り組み、家族との時間に幸せを感じる日々を送っていました。
超勝手なイメージだけど・・・・・・この時代のお父さんが子育てやPTA活動に参加するって珍しいような。。えらいな~すごいな~!!!!!
目の前のことに全力で取り組むというのは、岩丸さんの素敵な性格だなと思いました(*'▽')

 

幸せいっぱいの家庭生活でしたが・・・娘さんが18歳の時、奥様が病気で急逝してしまいます。
4年後、再婚をしますが、その奥様も病気で亡くなってしまいます。
『人はいつか死ぬ』とはわかっていても、若くしての死別というのはとてもつらい出来事です。
それでも、ふさぎ込むでもなく、人と関わり続けていたのが本当にすごいな~と思います。奥様を失った悲しみを埋めるための行動だったのかな??(私なら間違いなくそうする)


とても悲しい経験があるからこそ、『人が集う場所岩丸家』があるのかもしれない。。なんて無理矢理にでも前向きにこじつけてしまう私。。
だって写真を見ると、どれもたくさんの人に囲まれていて、幸せそうなんだもん( ;∀;)。。。悲しい過去があったとは思えない。。

きっと二人の奥様も天国で見守ってくれているんだろうな~

岩丸さん幸せ者~!!!!ヽ(*´▽`*)ノ”

・・・・ということで、次回は『人が集う場所岩丸家』について書いていこうと思います!

 

岩丸さんの自分史はこちら

iwamarukiyoshi.jimdofree.com

ぜひ覗いてみてください(´▽`)

【制作実績】奇跡の田舎!神山町のお父さん

こんにちは。あいです。

ママたちと一緒に、自分史ウェブサイトを作っています☆

 

AYAクリエイティブ 自分史実績紹介 第2弾です!

第1弾はこちら

jibun-shi-web.hatenablog.com

 

今回は、AYAクリエイティブの松坂智美さんが移住した徳島県神山町で、認定特定非営利活動法人グリーンバレーの理事として神山町地域活性化に尽力されている岩丸潔さんの自分史について書いてみます♪

長くなるので、何回かにわけて書いてます!

徳島県神山町といえば、奇跡の田舎とよばれ、先日、『神山まるごと高専』が新設されました。高専の新設は19年ぶりだとか!!!

学校も魅力的で、自分が15才なら行きたかった~!!(≧▽≦)

・・当時の私は『高専』という選択肢があること自体しらなかったけど。。

自分のこども達には、義務教育以降の選択肢はたくさんあることを伝えたい!そして願わくば、神山まるごと高専に入学してほしい笑

全寮制の学校(親がついていく必要はない)だけど、私自身が神山町に行ってみたいのもあって・・・(´▽`)

AYAクリエイティブの松坂智美さんが東京から移住して、魅力を発信しているのもあるんだけど、今回紹介する自分史を読んで、さらに興味が出ました♪

 

前置き長くなりましたが、、紹介していきますね~

岩丸潔さん

昭和23年8月28日。徳島県神山町生まれ。
岩丸百貨店 店主・認定特定非営利活動法人グリーンバレーの理事として神山町地域活性化に尽力すると共に、自宅兼店舗を神山塾生の下宿先として解放し、神山を訪れる多くの人の憩いの場を提供している。

岩丸さん なんとも穏やかで優しそうなかた!!

■生い立ち・家族
3人兄弟の長男として生まれ、野球をしたり、友人たちと野山や川に遊びに行ったこども時代。
当時の神山にはこどもがたくさんいたそうで、中学校が7校あったそうです。
(おそらく現在は、中学校1校、小学校2校!!でもスクールバスうらやましい・・・(*´з`)
テレビのある家に行って、大相撲、プロ野球レスリングなどをみんなで食い入るように観ていたそうです。


写真とともにエピソードを読むと、私のイメージにある『THE昭和!!!』という感じです(´▽`)
テレビのある家に行って、みんなでテレビ観てたよ、とは私の母も話していて、
家族も友達もみんなでスポーツに熱くなったり、大笑いしたり・・・とても楽しそうですよね~

 

ご実家は、『岩丸百貨店』を営んでおり、お父さんはオートバイで各家庭を周って販売をしていました。
百貨店といえば、デパート=人が来る場所だと思っていたけれど、時代柄なのか土地柄なのか、『各家庭を周っていた』というのが、いいなと思いました♪
サザエさん三河屋のサブちゃん的な!(゚∀゚)
お届け物しつつ、世間話して情報取集して、お客様に必要なものを取り揃えていく・・まさになくてはならないお店だったと思います。

 

野球に熱中した中学・高校・大学時代。
中学校時代は7校で学校別対抗戦などもあったそう。
中学卒業後は『就職組』もいる中、岩丸さんは高校に進学し、神山を出て徳島市内に下宿しながらの高校生活。
さらに大学にも進学し、大学時代は野球に加えマンドリン倶楽部にも入り、青春を謳歌していたそうです。
当時、中学卒業後に就職する人もいるなか、大学まで進学しているのは25%くらいだった(私調べw)ようで、
なかなか貴重な人材だったのかな・・・
学生時代に熱中するものがあって、熱くなれる友達がいて・・ってめちゃくちゃ青春~!!!(≧▽≦)
素敵な学生時代だったんだろうな~

幼少期〜学生時代って、目の前の環境の中で色んなことを経験する時期だと思うんです。たくさんの友達との経験は、のちの岩本さんの活動の根っこになっているような気がしました(*´∀`*)

次回は、引き続き、岩丸さんの生い立ちの感想を書いていこうと思います!

ここまで読んできただきありがとうございます(*^-^*)